連載:第11話 太平洋戦争開戦
  サイゴンに上陸し、本格的な航空通信の任務について間もなく、大きな事件がありました。忘れもしない、昭和16年12月8日の出来事です。
 その夜、師団司令部にいた私は、一通の軍機電報を受け取りました。軍の重要な作戦命令である軍機電報は、われわれ通信兵にとって、一度でも受け取れば勲章がもらえるくらい凄いものでした。実際に、この夜の任務で勲八等をもらうのですが、何と一晩中、軍機電報を受け続けたのです。しかも、私は本格的な航空通信を始めたばかりの初年兵。本当に無我夢中でした。
 はじめはどこと通信しているのか分かりませんでしたが、次第に事の重大さに気付かされました。通信をしていた相手は、まさにこれから、マレー半島へ上陸しようとしている部隊だったのです。敵の攻撃に手こずり、崖っぷちでずっとこらえながら、機をみて、夜襲をかけ上陸を果たしました。
 こうして私は、自分の任務の中で、太平洋戦争が始まったことを知りました。いよいよアメリカを相手に戦うんだ――。関東軍の精鋭を集めて南進を始めたとき、ある程度予想できたとはいえ、とんでもないことになったと思いました。あの夜、上陸した部隊が先鞭をつけ、マレー半島で怒涛の快進撃が始まります。日本軍は連戦連勝を続け、いよいよ私は戦火の中に深く身をおくことになりました。
 昭和17年、戦地で迎える初めてのお正月は、戦況が悪化したその後と比べれば、まだ余裕がありました。みんなで餅つきをやって、少しはお正月気分も味わえました。進撃を続ける最前線に身をおき、来る日も来る日も戦いが繰り返されます。その年の3月には、いよいよビルマに入りました。結局、戦争が終わるまで、私は3年間もビルマを転々とすることになります。
 空からは爆弾が降り注ぎ、敵が来たら防空壕に身を沈めます。部隊のみんなで一緒に入ることはありません。もし、そこが被害を受けたら全滅してしまうからです。穴を掘って一人ずつ入り、爆撃機が通り過ぎたら顔を出す。顔が見えれば、あいつは生きていたと分かります。逆に、もし別の穴に入っていたら、死んでいたということもありました。
 敵は人間だけではありません。ジャングルに入ると、夜は野犬に襲われる恐怖があります。真ん中に日を炊いて、そこに全員足を向け輪になって寝るのです。暗闇で野犬の目が、ランランと光っているのも見えます。交代で銃を持ち、番をしながら眠りについていました。
 こうした極限の状態におかれながらも、勝ち続けていたころはまだ良かったのです。ビルマでの壮絶な生き死にをかけた戦いは、まだ始まったばかりでした。
石渡弘三
プロフィール:大正9年、茨城県生まれ。昭和11年に逓信省(東京逓信局東京工事局。のちの電電公社で、現在はNTT)に入省。昭和16年、航空通信教育隊に入隊。インパール作戦に参加したのち、終戦を迎える。昭和21年に復員、昭和50年に退職するまで電電公社に勤務。この間、病気と闘う家族のために、独自に交流磁気治療器の開発に取り組んだ。医療用具の認可を受けたのち、昭和57年に(株)創健販売(現在のソーケンメディカル)を設立。
座右の銘は「己に克て」
平成17年4月肺炎のため永眠