連載:第23話 失敗の経験から何を学ぶ
  藤代から養母を迎え、長男と長女が誕生し5人で暮らす我が家でしたが、最初から不法占拠で裁判にかけられるなど、因縁つきの土地であったため、私としては長く住み続けたくありませんでした。長男の病気でいろいろな病院へ通っていたので、少しでも便利な場所へ引越し、女房の負担を減らしてやりたいという気持もありました。
 そんなとき、以前の裁判でゴタゴタしているうち懇意になった不動産屋から、雑司ケ谷に良い物件があると紹介されました。ほぼ四角い理想的な土地で、山手線の内側にある利便性を考えると、値段も破格と言っていい掘り出し物でした。不動産屋はすぐにでも手付金を打とうと急がしましたが、私はもう少し調べてからにしたいと、その場で返事はしませんでした。
 何しろ当時住んでいたのは、不動産業者が他人の土地に建てて、勝手に売り出した家です。のちに土地を追加購入させられ、裁判にかけられている間は、十分な知識と情報がなかったこと、騙されるのがいかに惨めかということを、嫌というほど味わっていました。だからどうしても、自分の目で確かめておきたかったのです。
 売り出している土地に足を運んでみると、私は呆気にとられました。更地で売り出しているはずなのに、奥の方に小さな家が一軒建っていたのです。調べてみると、真相はこういうことでした。売主は印刷業を営んでいた年配の夫婦で、老後に備えて、都内に数軒のアパートを持っていました。おそらくこの土地も、新しいアパートを建てようとして購入したようですが、どうしても以前からいた借家の住人が出ていかない。そこで業を煮やして、更地と言い張って、売り払ってしまおうという魂胆だったのです。
 しかし私は、そこで何も見なかったことにしようと思いました。家が建っているのは知らないふりをして、土地を売り出している印刷業の夫婦のもとへ契約に行ったのです。当時の値段で、土地代は100万円でした。もちろん、私たち家族にとっては大きな買い物です。細かい点まで交渉しながら契約書をつくりました。そして最後に判を押すというとき、私はゆっくりと口を開きました。
 「ところで、今あそこに建っている家はどうなるのでしょうか?」
 土地の売主は少し慌てたようですが、決して取り乱すことなく、「あれは、登記の日までに壊しますよ」と答えました。私は「ならば契約書の中にそう書いてください」と要求したうえで、手付金を40万円ほど払いました。さらに、もし登記までに取り壊しができず、契約を破棄することになれば、違約金として40万円を払うことも契約書に入れました。仮に土地が手に入らなくても、40万円の手付金は倍に増えることになります。
 こんな契約では売主は大損になってしまうので、建っている家は良い条件を出して撤去したのだと思います。結局は、またしても曰くつきの物件だったのですが、今度はしっかりと情報を集め、知恵を絞って交渉し、非常に安い値段で土地を手に入れることができました。もちろんこれは、裁判にかけられた中で、自分なりにいろんな勉強をした経験が生かされたからです。
 経験はすべて、一つひとつ活かしていかなければなりません。仮にそれが失敗であったとしても、経験を積んだというのは自分自身の宝物なのです。経験から何を学ぶか、そしてどう活かしていくかに、その人の真価が問われているのです。
石渡弘三
プロフィール:大正9年、茨城県生まれ。昭和11年に逓信省(東京逓信局東京工事局。のちの電電公社で、現在はNTT)に入省。昭和16年、航空通信教育隊に入隊。インパール作戦に参加したのち、終戦を迎える。昭和21年に復員、昭和50年に退職するまで電電公社に勤務。この間、病気と闘う家族のために、独自に交流磁気治療器の開発に取り組んだ。医療用具の認可を受けたのち、昭和57年に(株)創健販売(現在のソーケンメディカル)を設立。
座右の銘は「己に克て」
平成17年4月肺炎のため永眠